青雲に花負いて

楽しく生きていたいよね

戦争が終わった日をあなたは知っているであろうか

戦後70年が過ぎました。

 

歴史の先生に、戦争はいつ終わりましたか?

と聞くと、1945年8月15日と答えが帰ってきます。

私達も学校ではこのように習いました。

各地域で「終戦の日」としてイベントを行いますね。

 

でも、実は8月15日は「終戦の日」ではありません。

 

8月15日は玉音放送が行われた日です。

どういうことか、説明します。

 

玉音放送が行われる前日、8月14日に外務省を通じて

正式にポツダム宣言を受諾したことを連合軍へ通知ました。

玉音放送の翌日の16日に大本営より梅津参謀長名で「即刻戦闘を中止せよ」の命令が

各戦闘指揮官へ出された日なのです。

 

つまり8月15日は「停戦の日」ということになります。

この日に戦争は終わっていません。

 

当時の世界中の国連加盟国二百数十カ国の中で、

8月15日を「終戦の日」としているのは

日本と韓国だけです。

 

我々と戦ったアメリカ、イギリス、途中参戦のソ連、カナダ、中国は

戦争が終わった日を9月2日、もしくは今日9月3日として記念行事を行っています。

しかしこの日も「終戦の日」ではなく、我々が明確に負けた「敗戦の日」ということになります。

 

「明確に負けた」とはどういうことでしょうか。

先ほど、8月14日にポツダム宣言の受諾を連合軍に通知したと述べました。

 

国際社会のルールは、口頭で約束できるようなものではありませんから

お互いに条件をしっかりと確認し合ったうえで、責任者同士が文章に署名する。

こうすることで、国際法の効力を発揮する。これが国際社会のルールです。

 

日本と、連合軍が東京湾上の戦艦ミズーリにてこれを行った日、これが9月2日

もしくは日付変更線を超えた9月3日です。この日に我々は戦争に負けたのです。

 

この「ポツダム宣言」には無条件降伏だとか、

色々と難しいことがたくさん書いているのですが

我々が知っておかなければならない大切なことが一つあります。

 

それは、日本の主権が無くなった日ということです。

 

この降伏文章の中には、日本の主権を認めず、

連合軍に渡してもらうということが書かれています。

 

この日、2000年以上続いた日本の歴史の針が一度止まります。

日本という国が地球上から消えた瞬間です。嘘のようで本当の話なのです。

 

こんなこと、学校では習わないですね。

 

この時期の世界地図には「オキュパイド・ジャパン」と書かれています。

つまり連合軍の統治エリアということになります。

 

タイトルに戻りましょう。

日本の戦争はいつ終わったのでしょうか。

 

それは、1952年4月28日

この日を持って戦争は終了しました。

 

歴史が得意だった人はピンとくるでしょう。

サンフランシスコ講和条約の発行の日です。この日に戦争は終わりました。

 

条文の一条(a)には

「これをもって戦争のすべてを終了する」と書かれています。

 

そして、今を生きる私達にとって大切なことが書いてあります。

一条(b)において

「日本の主権を回復させる」と。

 

我々は、再び独立し、歴史の針が動き出しました。

この条文には賠償金をどこにどれだけ払いなさい、

領土をどこに返還しなさい。など書かれています。

 

そして、難しいと思う内容かもしれませんが

「国際社会」が日本の国連復帰を認め、

個別的自衛権と集団的自衛権の行使を認め

集団的安全保障を他国と締結することを認めると明記しています。

これが「独立」です。

 

ここまでのお話は、知っている人もいるかもしれませんが、

このサンフランシスコ講和条約は誰もが賛成した訳ではありませんでした。

 

この条約に49カ国が賛成し、3カ国が反対しました。

そうした中で我々は国際社会に復帰を果たしました。

 

この、賛成した49カ国には、アメリカ、イギリスを中心とした

戦った国々が入っています。

 

では、反対した3カ国はどこの国なのか、分かりますか。

想像してみてください。

 

まず、筆頭格はソ連です。この頃、世界には共産主義

社会主義国家が誕生し始めていました。

 

社会主義国家はソ連に倣って反対をしたのです。

その2つの社会主義国は、ポーランドチェコスロバキアでした。

 

きっとみなさんが想像した国ではなかったと思います。

 

中国、韓国はどう動いたのでしょうか。

 

ソ連は条約を認めず、日本を分断統治しようという提案をします。

また、ソ連を含むこの3国は同じ共産圏である「中華人民共和国」が

この講和会議に出席していないことを理由に反対したのです。

 

みなさんは「何故中国が参加していないのか」と思ったことでしょう。

同様に韓国もこの講和会議には呼ばれていません。

 

何故呼ばれなかったのか。

 

「あなたたちは日本と戦っていないでしょう。

 ですから、賠償責任をする権利がありません」

 

という理由で呼ばれなかったのです。

 

中国は日本と戦ったではないか。そう思われる人がいるかもしれませんが

ここで言う中国とは「中華人民共和国」です。

中華人民共和国」はまだ立ち上がって4年で数か国しか国家承認をしていません。

 

日本が戦った「中国」とは、蒋介石が率いる中国国民党、八路軍です。

日本が停戦をした時、3年間戦ってボロボロになった蒋介石の中国国民党、

つまり八路軍を狙い、毛沢東が率いる中国共産党人民解放軍が攻撃を仕掛けました。

蒋介石が日本と戦う前から毛沢東共産党(後の「中華人民共和国」)と

中国の統治を争い、民主主義と共産主義の内戦状態にあったわけですが、

ここで再び中国共産党対中国国民党の戦いが始まります。

国民党は既に消耗しきっており、戦えるわけがありません。

そこで蒋介石は台湾へ渡り「中華民国」という国を立ち上げます。

我々こそが中国であると。

 

つまり「中国」を主張する組織が2つあるという状態になりました。

アメリカは「国民党こそが日本と戦った連合軍の一員であるため」として

権利は「中華民国」にあると主張しました。

 

さて、韓国ですが同様に呼ばれていません。

それは当時朝鮮半島は日本の一部だったからです。

 

朝鮮半島出身者である日本人として彼らは一緒になって懸命に戦いました。

朝鮮半島出身の軍人には優秀な人がたくさんいました。

その中にエリートコースである東京の陸軍士官学校を優秀な成績で卒業した

朴正煕(パク・チョンヒ)という人がいます

現韓国大統領である朴槿恵のお父さんです。

朝鮮半島出身者でも士官学校に入れる、指揮官にもなれる。

(義務教育制度があったため子供を学校に通わせず、労働力に使うと罰せられていた

 成績優秀であれば、誰もが目指せる時代であった)

 

そうした日本のため、もしくは朝鮮半島の名誉のために戦う人たちがいた。

そういう時代だったのです。だから、講和会議には呼ばれませんでした。

 

そしてこのとき朝鮮半島朝鮮戦争まっただ中、

主義主張、覇権をめぐって南北に別れめちゃくちゃな状態でした。

 

この時の韓国のリーダーは李承晩です。

彼は、来なくていいと言われますが、引きませんでした。

 

アメリカに対してオブザーバー参加でもいいから出席させてくれと頼みます。

それもダメだと言われると、傍聴席に座るだけでもいいからと、代表を送るのです。

 

来て何をするのでしょうか、今の国際社会で韓国が行っている

いわゆる「ロビー外交」を行うのです。

 

日本の国際社会復帰には反対だ、賠償金はいくら渡せ、これを会議で決めてくれと

ロビー活動をします。その中に竹島を韓国の領土にしろという主張があったのです。

 

ほとんどの国々がこれを拒否しました。竹島の話は日本のものである上に戦争とは

関係なく、どさくさに紛れてこの会議で論じようとするのはとんでもない話だと

アメリカの代表であったフォレスターダレスから断られました。

 

これでも李承晩は諦めません。

このままだと会議が終わってしまう。日本が国際社会が認めた独立国家になり、名実ともに竹島が日本のものになる。

そう考えた李承晩は「李承晩ライン」をひいて、武装兵を竹島に上陸させました。

 

つまり、日本が、主権を持たず、抵抗することができない間に

不法に占拠したということになるのです。

 

このような話を日本人は習いません。

だから、「自衛隊は何をやっていたんだ」だとか

「国がしっかりしていなかったからだ」という意見を

インターネットなどで目にすることが多いのですが

これはとんちんかんな話で、この時、自衛隊はおろか

日本国が存在していなかったのです。

 

これから、憲法や、自衛隊、そして今へのお話になるのですが、

もうここまでよんで疲れた方も多いと思われますのでこの辺にしておきます。

 

日本の主権を回復させる時に、日本を

それこそあの時代に命がけで支援してくれた国々や人物がいます。

 

単に嫌わずに何故こうなったのかを知る必要があります。

 

そういったものを教えないというは非常に残念に思います。

 

皆さんが何を感じ、何を思うのかは自由です。主張もできます。

これこそが民主主義国家である日本のいいところです。

 

ですが、その土台に必要なのは何でしょうか。

 

 

 

 

参考:混迷を極める世界情勢と我が国の選択