青雲に花負いて

明るい生活を

ヤンバルクイナを見に行った話

昨年の4月のこと
沖縄に仕事で行く機会があった

一週間ほどで、間に土日を挟む

仕事の方は那覇市内だった
那覇の中心はリゾート地を思わせる景観に、都市が融合したような
悪く言えば自然を感じられない世界に見えた
連日、半袖で過ごせるほど暑かった
仕事をこなし迎えた土日

皆、夜の街や性風俗に行っていたが

価値を感じられないしょうもない世界に付き合いたく無いので

誘いを断り北へ、
ヤンバルクイナの里、国頭村へ向かった

(尚この間に戦史関係の名所へ一通り回ったが、その話はまた別の機会に)

沖縄の移動ではバスがメインとなる

ここが旅行者にとっては最大の関門である
このバスの接続が非常に分かりにくい

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賢い人間なら無難にレンタカーであろうが
車両禁止令が会社から出されているので仕方がない

沖縄は島といえども大きい、高速道路もある
目的地まで2時間以上もかかるのだ

不幸にもバスセンターは改修工事中
慣れぬ土地、知らぬバス停で遭難しながら地元の中学生に案内してもらい
ようやくバスに

バスには自分と、地元の人間らしき人が乗っており
観光客の姿はない

バスは高速道路を通り名護まで走る
途中、米軍基地とそれに付随する生活住居をみて、我が社との待遇の違いを噛み締め虚しい思いだった

走ること2時間とすこし

名護に到着
名護からはローカルのバスに乗り換え国頭村へと向かう

錆びた柱の多い名護のバスターミナルには昔ながらの売店があった
反基地を訴える剥がれかけのポスターが良い味を出していた

売店にはアイスが売っていた
店のおばあちゃんに声を掛けスーパーカップのバニラ味を買う
何故か関西弁であった

ローカルのバスには番号がありこれを頼りに国頭村行きに乗れた

バスの時刻表を見るとほとんど読めない難読地名だらけの世界だった

流石に名護市をはなれ、北に向かうと次第に田舎感、原風景さが増してくる

途中気になるものがポツポツ海岸の道路沿いに見えてくる
それは亀の甲羅のように見えた

早速スマホで 沖縄 亀の甲羅 海岸
で検索してみると なるほど納得
お墓であった

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亀甲墓というらしい
沖縄のお墓のスタイルのようだ

戦中は即席のトーチカにも利用されていたようだ

墓は生と死の概念を反映するもので
地域性があるなと、一人感じた

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しばらく走ると青い空と、それに負けないほど深い青の海が広がり、道の駅ゆいゆい国頭を過ぎる

そしてようやく国頭村に到着
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ちなみに自分以外の人間は乗っていなかった

国頭村はそこそこ店もあり

自分の地元よりもずっと街であった

お腹が空いたので食を求めて村を歩くと
可愛いヤンバルクイナのイラストが
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クニガミドーナツを買って食べる
とても美味しい


肝心な事を思い出す

そう、ヤンバルクイナ

ヤンバルクイナ生態展示場まではまだここから
18kmもある、が

ここでトラブルが


自分の手元の時刻表と町の時刻表が異なる
そしてそのどちらの時間になってもバスは来ない



ありのままに今起こっ ry



仕方ないので売店のおばちゃんにバスの事を聞くと
バスはいつくるかわからんから、知り合いの人元タクシーの運転手だからという超理論で知り合いの人に電話をし始める

内地から若い人が来てるのでタクシーしてくれないかと

急な展開で申し訳なさすぎてオロオロしていたが

大丈夫、畑仕事終わったら来てくれると言われた


待つこと30分

おじいさんの運転するクワなどを積んだ車が到着
この方のようだ

二人にお礼を何度もいいながら
車に乗りヤンバルクイナ生態展示場へ

もちろん当たり前の運賃は払う

道中、おじいさんに仕事がバレる
見ればわかるとのこと、多少構えたが

弟も同業で昔から、関連の催しには参加して応援しているとのこと
内心ドキドキしていたが、よかった

自分が九州の島の出身である事を話すとさらに親しくしてくれた
本当にありがたい


そして、地元の人の力を借りながら現地へ到着
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かなり賑わっていた
レストランもあり、若いカップルも多かった

通路を抜ける
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メイン施設の前には現代アートというべきか若干空気抵抗の良さげな形のクイナ様の御神体が待ち受けていた
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そして…




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とうとう御対面
ヤンバルクイナです

本当に見たかったので感無量
思ったよりも素早い

全開時には時速40kmも出るそうな

施設には可愛らしい子供の作品や、ロードキル防止の啓蒙ポスターなどが展示されていた
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2時間ほど滞在
長居しすぎた

そして大問題が発生




バスが

来ない




非常にまずい
その日の高速バスの最終便に間に合わなくなる

バスは来ないものと考え
いそぎ最寄りの集落に向かう
運が良ければ別ラインのバスが30分後にこの集落を通る、これしかない

悩んで止まるよりも
とりあえず進まねば
しかしこの集落までは6km

それなりにカバンに荷物がある状態で
1キロ5分でこのヤンバルの熱帯性の山を走破しなければならない
必死に走る、過ぎ行く植生が熱帯性のものである
ジャングルで敵から逃げる兵士の気分だ

途中、雨が降るも
既に汗だくなので御構い無し

ヤンバルクイナの看板を見つけ
そんな場合でもないのに写真を撮る
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しばらく走るとようやく集落が見えてきた

ちょうどその時黒い塊が道路を横切る

野生のヤンバルクイナを見ることができた

そんな場合でもないのに一人喜んでいた

集落に入る手前で後ろからバスがやってきた

運転手が察してくれて停まる

事情を話さずとも
笑いながら、乗せてくれた

バスには自分と70くらいのカメラマンと思わしき爺さんが載っている
ニコンD200と望遠レンズを構え
すぐに撮れる体制である

運転手がヤンバルクイナが飛び出すエリアを教えてくれながらバスを走らせる

途中2度ほどか予言通り
クイナの飛び出しに遭遇

おじいさんは機関銃のようにカメラを乱射していた

ヤンバルクイナキョンキョンという鳴き声も同時に聞けた

運転手にお礼を言いながら
下車

おじいさんは国頭村で降りなかった
何者だろうか

そして
無事接続のバスに乗ることができた

教訓は地方のバスの時間を信じるな
ということか


危うい、やんばるの旅であった

VAB号にストライカーカバーを取り付けた話

ブツがきた

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ヤフオクで1068円にて落札
某板の住人は入札のことを乳殺というらしい

こいつはいったい何かというと
ドアストライカーカバーである

ドアストライカーってなんだ

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どうやらここのことらしい

ひっかける所だ。多分。

そういえば実家のテリオスキッド号も10年目にして
錆散らかしていたなあ ここ

洗車はしない箇所で
汚れや塩分がたまり 湿気でついにはさびてしまうこの部分を守るらしい


カバーを付けたところで手入れしないと結局さびるだろうとは思うものの

普段目にする個所にほんの少しこんなしゃれたパーツがあればいいなという思いで装着

5秒でできた

ありがたくも既に3M両面テープが貼ってあり
アメリカ人の仕事とは思えないほど親切だった
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各ドア4か所に装着し開閉してみるも特に干渉はない

完全にフィッティングはしなかったが許容範囲

開くたびに見えるのがgood

良い買い物であった

WRX STIにレーダー探知機を付けた話 と熱について

正直なところ車にレーダー探知機は要らないと思っていた

飛ばさなければイイだけの話

 

しかし最近の物にはOBD2から情報を得て表示する機能があるらしい

OBD2は故障の診断に使われるモノでエンジンの状態や各種の温度などをモニターできる

 

かねてからVAB号のエンジンルームの熱が気になっており

吸気温度のモニターがしたかった為に購入を検討した

 

どうせなら警報音や待受を自由にカスタムできるものをとcellstarのAR43にした

OBD2アダプターは別売りなので注意

 

取り付けは簡単

 

アクセルペダルの上をみると

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チンパンジーでも分かるような特徴的なソケット

これがOBD2

ここから電源と各種のエンジンの信号を得ることができる

 

配線が見えるのが嫌だったので

ダッシュボードの内側を通し

 

ツイーター装着用の穴まで配線

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この穴から線を通し

再び蓋を

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スッキリ

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表示モードは色々ありこの時計モードがお気に入り

左下に吸気温度を表示しました

 

やはりアイドリング時が80℃を超えています

VA系は排熱に問題があるようです

 

現在有効な対策を検討中…

 

レーダー探知機の話に戻ると

音をF18戦闘機のRWR音に差し替えて気分は戦闘機状態

F15の音もいいだろうなと思いながら試運転開始

 

 

やはり安全運転さえしていれば取締まり情報はあまり必要じゃないなと

 

というわけで警報は必要最低限に絞りその他の音をミュートにしたのであった

STI パフォーマンスマフラー 換装の話

納車から数ヶ月

 

走りも慣れ、いちいち信号や坂でエンストという辱めを受けることもなくなってきた頃

 

何かが足りないと感じるようになった

 

そうだ、音が欲しい

 

というわけでさっそく良いマフラーを探し始めた

 

やはり純正プラスアルファというコンセプトの下なので

STI製のマフラーを選ぶことにしたのだが

 

STIには二種類あった

一つはエキゾーストキット

もう一つはパフォーマンスマフラーである

 

いずれも高価であるが

性能に関してはエキゾーストキットが勝り

コスパ、音質と見た目に関してはパフォーマンスマフラーが勝るという意見が多いようだ

 

無論後者を選ぶことにした

さっそくディーラーさんにメール

 

なんやかんやでディーラーにて無事換装

さて車に乗り帰ろうかとすると

あの販売員さんがやってくる

 

ニコニコしながらちょっとちょっと待ってください

ほら!よくみていかれませんか!!この輝きが〜どうです?あ、音聴きたいですよね音!

 

完全に気負けしてしまった

 

 

さて、感想としては

純正品とは思えないイイ音量で乾いた音

下品なバリバリ感も無く、かつうるさすぎず、冷間スタート時のアイドル音はクルマ好きではない人に気を使うほどだが暖気時にはさほど気にならない程度(主観

また、音量のおかげで半クラやシフトチェンジも回転数を感覚的に分かるようになりスムーズに操作できるようになった

トルクが少し太くなったからなのかもしれない

 

見た目に関してもエンドのΦも大きくステンレスの輝きとロゴが美しい、ピカール必須。

 

選んで正解、気分も上がる良い買い物であった

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WRX STI 納車の話

めでたくも天皇誕生日である12月23日

遂に愛車としては第1号となるSUBARU WRX STI納車となった

 

いや めでたい

 

外の世界では一般参賀でおめでたいムードに包まれ

伊勢など神道系の神社では天長祭を催し

自分が嫌いな海自では船を飾り祝意を表明していた

 

そんなめでたい日の午前中の納車である

 

納車に際してはディーラー側との約束が違えたりとトラブルはあったものの

その点を除いてはとても親切に対応していただきこの日が迎えられたことに感謝した

 

きっと感動が待っているのだろうと対面するまでワクワクしていた

 

さあ、この長い説明はいつになれば終わるのかと思いながら

真剣な表情で説明書の解説や保証の内容などの話を聞いてはいるが車の方が気になり仕様がない始末であった

 

そして遂に愛車とのご対面である

 

おお

 

それはとても感激するべきところだったし

事実こんなに印象深い車、感動しないわけがないのだが

販売員さんの破壊的な元気の良さとテンションの高さに気負けしてしまった

一番喜んでいたようにも思う

 

いやァァアすごいですねーーーーーー!

かっーーーこいいクルマですよォーーーー!

 

元気な販売員さんの声がディーラーに響き

どんどん来店している人の目がこちらを向きはじめ

恥ずかしくて堪らない

内心は涙が出るくらい感動してあれやこれや見て触れて感触を確かめたかったのだが

 

ほら!!ここ!!すごいでしょ!!!!

 

と言わんばかりに元気な説明をされながら

早く退散したいなと思いはじめた

 

キーを貰い早々に離脱を図ったものの簡単には返してくれない

記念撮影を頼まれた

 

とんでもない

 

目立たない事が平和につながるという信念を持っている自分としては

(こんな目立つ車に乗ってる時点でその信念は崩壊しているのだが)

断固お断りをしたのだが

まあまあそう言わずにと結局写真のみ撮ることになった

 

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熱い視線に見送られ

エンストをかましながら家路へ

 

7年ぶりの運転は恐ろしいものの

やはりやらねば上手くはならない

下手でも良いので安全にと思いながら家路へつくのであった

車を買ってしまった話

中学の頃はヤングバージョンやOPTION2を読みふけっていた少年時代だった

 

車関係の仕事に就きたいと願い

某自動車の町の工業高校に行くも、レベルの低さに絶望

 

そこは人並み以下の自分でさえ引いてしまうほどの動物園だった

 

夢を変え、普通の高校に転校

 

大学を中退し、第一志望の世界に就職して早数年

 

夢も叶い、資格も取り、ある程度貯金も溜まっていたが

車をまさか自分が買うとはついこの前までは考えていなかった

 

車、車かあ…

 

この会社の社員にはとても大きな社会的責任が伴う

日常や休日に至るまでその制約は大きいため

 

事故の元となる車を保有することさえ規則があり、やはり必要なければ持つものでもないと言う気風さえあった

 

つまりはこうだ、危ないので道路は使わないようにしましょう。危ないので家から出ないようにしましょう。

 

である

 

これを「幼稚園理論」とかつての尊敬できる上司が言っていた

事なかれ主義の行き着く先は責任の転嫁であると

 

誰も責任を持ちたくないのだ

ひどい時には部署の長が転勤シーズンとなると

経歴に傷がつくことを嫌い若造の車両保有を認めないケースもあった

 

こんな環境で車などもてようか

いや持てるが、面倒ごとが嫌いなこの自分は持ちたくなかった

 

ある日事情が変わる

なんやかんや以下略によって会社を辞することになった

 

その時ふと、自分にかかる制約がなくなるとともに

かつて自分を自分たらしめていたあの時代の憧れ

車に対する熱がかすかに湧いてきたように感じた

 

もはや最新の車さえも追いかけていない自分はこの車が良いという考えが湧かなかった

 

やはり当時憧れた車種が浮かぶも

スプリンタートレノ

カローラレビン

など、いずれも車両状態に比して適正な価格で売られておらず

修理、維持を考えるととてもでないが買える代物では無いと思ってしまった。30年以上も前の車を買うということの大変さは想像すら必要なかった

 

考えた末

日本の航空業界を支える会社がいいという結論に至った

現在本田を除くと二社であるが、残念ながら自分にとって魅力的な車を現行で作っているのは一社であった

スバルである

私が一番初めに操縦した思い出の深い航空機もスバル製であり

縁を感じた、2回ほど死にかけたが

 

やはり乗るならカッコいい、戦闘機のような車が良かった

結局結論WRX STIに一目惚れしてしまった

 

大学時代に全日本ラリー選手権のオフィシャルをして以来ラリーカーに憧れを持った

 

日常も休日も制約だらけの自分にとって

どこでも走り抜くラリーカーには無限の可能性を与えてくれるような魅力があった

 

ただ価格は自分にとって安くなかった

が、結局財産になるのだと自分を説得しながら購入

 

EJ20エンジン搭載のフラッグシップモデルとしては最終型となるため、中古販売額が生産終了から跳ね上がるだろうという予想も後押しした

 

かくしてこのめんどくさがりな狐は車を手に入れたわけであった

 

※今後は整備記録や旅行記 カスタムなど区分けしてやっていく予定です。淡々と

三日坊主ですが

戦争が終わった日をあなたは知っているであろうか

戦後70年が過ぎました。

 

歴史の先生に、戦争はいつ終わりましたか?

と聞くと、1945年8月15日と答えが帰ってきます。

私達も学校ではこのように習いました。

各地域で「終戦の日」としてイベントを行いますね。

 

でも、実は8月15日は「終戦の日」ではありません。

 

8月15日は玉音放送が行われた日です。

どういうことか、説明します。

 

玉音放送が行われる前日、8月14日に外務省を通じて

正式にポツダム宣言を受諾したことを連合軍へ通知ました。

玉音放送の翌日の16日に大本営より梅津参謀長名で「即刻戦闘を中止せよ」の命令が

各戦闘指揮官へ出された日なのです。

 

つまり8月15日は「停戦の日」ということになります。

この日に戦争は終わっていません。

 

当時の世界中の国連加盟国二百数十カ国の中で、

8月15日を「終戦の日」としているのは

日本と韓国だけです。

 

我々と戦ったアメリカ、イギリス、途中参戦のソ連、カナダ、中国は

戦争が終わった日を9月2日、もしくは今日9月3日として記念行事を行っています。

しかしこの日も「終戦の日」ではなく、我々が明確に負けた「敗戦の日」ということになります。

 

「明確に負けた」とはどういうことでしょうか。

先ほど、8月14日にポツダム宣言の受諾を連合軍に通知したと述べました。

 

国際社会のルールは、口頭で約束できるようなものではありませんから

お互いに条件をしっかりと確認し合ったうえで、責任者同士が文章に署名する。

こうすることで、国際法の効力を発揮する。これが国際社会のルールです。

 

日本と、連合軍が東京湾上の戦艦ミズーリにてこれを行った日、これが9月2日

もしくは日付変更線を超えた9月3日です。この日に我々は戦争に負けたのです。

 

この「ポツダム宣言」には無条件降伏だとか、

色々と難しいことがたくさん書いているのですが

我々が知っておかなければならない大切なことが一つあります。

 

それは、日本の主権が無くなった日ということです。

 

この降伏文章の中には、日本の主権を認めず、

連合軍に渡してもらうということが書かれています。

 

この日、2000年以上続いた日本の歴史の針が一度止まります。

日本という国が地球上から消えた瞬間です。嘘のようで本当の話なのです。

 

こんなこと、学校では習わないですね。

 

この時期の世界地図には「オキュパイド・ジャパン」と書かれています。

つまり連合軍の統治エリアということになります。

 

タイトルに戻りましょう。

日本の戦争はいつ終わったのでしょうか。

 

それは、1952年4月28日

この日を持って戦争は終了しました。

 

歴史が得意だった人はピンとくるでしょう。

サンフランシスコ講和条約の発行の日です。この日に戦争は終わりました。

 

条文の一条(a)には

「これをもって戦争のすべてを終了する」と書かれています。

 

そして、今を生きる私達にとって大切なことが書いてあります。

一条(b)において

「日本の主権を回復させる」と。

 

我々は、再び独立し、歴史の針が動き出しました。

この条文には賠償金をどこにどれだけ払いなさい、

領土をどこに返還しなさい。など書かれています。

 

そして、難しいと思う内容かもしれませんが

「国際社会」が日本の国連復帰を認め、

個別的自衛権集団的自衛権の行使を認め

集団的安全保障を他国と締結することを認めると明記しています。

これが「独立」です。

 

ここまでのお話は、知っている人もいるかもしれませんが、

このサンフランシスコ講和条約は誰もが賛成した訳ではありませんでした。

 

この条約に49カ国が賛成し、3カ国が反対しました。

そうした中で我々は国際社会に復帰を果たしました。

 

この、賛成した49カ国には、アメリカ、イギリスを中心とした

戦った国々が入っています。

 

では、反対した3カ国はどこの国なのか、分かりますか。

想像してみてください。

 

まず、筆頭格はソ連です。この頃、世界には共産主義

社会主義国家が誕生し始めていました。

 

社会主義国家はソ連に倣って反対をしたのです。

その2つの社会主義国は、ポーランドチェコスロバキアでした。

 

きっとみなさんが想像した国ではなかったと思います。

 

中国、韓国はどう動いたのでしょうか。

 

ソ連は条約を認めず、日本を分断統治しようという提案をします。

また、ソ連を含むこの3国は同じ共産圏である「中華人民共和国」が

この講和会議に出席していないことを理由に反対したのです。

 

みなさんは「何故中国が参加していないのか」と思ったことでしょう。

同様に韓国もこの講和会議には呼ばれていません。

 

何故呼ばれなかったのか。

 

「あなたたちは日本と戦っていないでしょう。

 ですから、賠償責任をする権利がありません」

 

という理由で呼ばれなかったのです。

 

中国は日本と戦ったではないか。そう思われる人がいるかもしれませんが

ここで言う中国とは「中華人民共和国」です。

中華人民共和国」はまだ立ち上がって4年で数か国しか国家承認をしていません。

 

日本が戦った「中国」とは、蒋介石が率いる中国国民党八路軍です。

日本が停戦をした時、3年間戦ってボロボロになった蒋介石中国国民党

つまり八路軍を狙い、毛沢東が率いる中国共産党人民解放軍が攻撃を仕掛けました。

蒋介石が日本と戦う前から毛沢東共産党(後の「中華人民共和国」)と

中国の統治を争い、民主主義と共産主義の内戦状態にあったわけですが、

ここで再び中国共産党中国国民党の戦いが始まります。

国民党は既に消耗しきっており、戦えるわけがありません。

そこで蒋介石は台湾へ渡り「中華民国」という国を立ち上げます。

我々こそが中国であると。

 

つまり「中国」を主張する組織が2つあるという状態になりました。

アメリカは「国民党こそが日本と戦った連合軍の一員であるため」として

権利は「中華民国」にあると主張しました。

 

さて、韓国ですが同様に呼ばれていません。

それは当時朝鮮半島は日本の一部だったからです。

 

朝鮮半島出身者である日本人として彼らは一緒になって懸命に戦いました。

朝鮮半島出身の軍人には優秀な人がたくさんいました。

その中にエリートコースである東京の陸軍士官学校を優秀な成績で卒業した

朴正煕(パク・チョンヒ)という人がいます

現韓国大統領である朴槿恵のお父さんです。

朝鮮半島出身者でも士官学校に入れる、指揮官にもなれる。

(義務教育制度があったため子供を学校に通わせず、労働力に使うと罰せられていた

 成績優秀であれば、誰もが目指せる時代であった)

 

そうした日本のため、もしくは朝鮮半島の名誉のために戦う人たちがいた。

そういう時代だったのです。だから、講和会議には呼ばれませんでした。

 

そしてこのとき朝鮮半島朝鮮戦争まっただ中、

主義主張、覇権をめぐって南北に別れめちゃくちゃな状態でした。

 

この時の韓国のリーダーは李承晩です。

彼は、来なくていいと言われますが、引きませんでした。

 

アメリカに対してオブザーバー参加でもいいから出席させてくれと頼みます。

それもダメだと言われると、傍聴席に座るだけでもいいからと、代表を送るのです。

 

来て何をするのでしょうか、今の国際社会で韓国が行っている

いわゆる「ロビー外交」を行うのです。

 

日本の国際社会復帰には反対だ、賠償金はいくら渡せ、これを会議で決めてくれと

ロビー活動をします。その中に竹島を韓国の領土にしろという主張があったのです。

 

ほとんどの国々がこれを拒否しました。竹島の話は日本のものである上に戦争とは

関係なく、どさくさに紛れてこの会議で論じようとするのはとんでもない話だと

アメリカの代表であったフォレスターダレスから断られました。

 

これでも李承晩は諦めません。

このままだと会議が終わってしまう。日本が国際社会が認めた独立国家になり、名実ともに竹島が日本のものになる。

そう考えた李承晩は「李承晩ライン」をひいて、武装兵を竹島に上陸させました。

 

つまり、日本が、主権を持たず、抵抗することができない間に

不法に占拠したということになるのです。

 

このような話を日本人は習いません。

だから、「自衛隊は何をやっていたんだ」だとか

「国がしっかりしていなかったからだ」という意見を

インターネットなどで目にすることが多いのですが

これはとんちんかんな話で、この時、自衛隊はおろか

日本国が存在していなかったのです。

 

これから、憲法や、自衛隊、そして今へのお話になるのですが、

もうここまでよんで疲れた方も多いと思われますのでこの辺にしておきます。

 

日本の主権を回復させる時に、日本を

それこそあの時代に命がけで支援してくれた国々や人物がいます。

 

単に嫌わずに何故こうなったのかを知る必要があります。

 

そういったものを教えないというは非常に残念に思います。

 

皆さんが何を感じ、何を思うのかは自由です。主張もできます。

これこそが民主主義国家である日本のいいところです。

 

ですが、その土台に必要なのは何でしょうか。

 

 

 

 

参考:混迷を極める世界情勢と我が国の選択